ふと振り返ると
齢を重ねる毎に、あるいは何気ない一瞬に
今までの自分を振り返るというような経験は誰にもあるのではないか。
私は、好きな事だけをして生きて来た、とは思っていなかった。
まあ、自分が楽にできる事だけをして生きてきた、ぐらいのものだった。
学生の頃は、そこそこの成績をあげ(ただし運動センスや芸術センスはゼロだったので普通の成績をとるのも苦労したが)、社会人になってからも、そこそこの仕事ぶりで、いまでは部下のいるような立場にはなっている。
が、ことプライベートとなると酷いものだった。
生活は親が同居していたお陰で、衣食住は維持されていたし、社会人として親に生活費も収めていた。
だが、それだけ。
家に帰ってきてからは、好きな小説を読み、ゲームをして、アニメを見て、海外ドラマを見て、とにかく多種多様に自分の好きなことをし続けてきたと思う。
今、鏡に映る私は、ルックスも平均ギリギリ、身長は160cmというくたびれたオジサンに過ぎず、そんな外見からの自信の無さと、妥協の無さから、独身で居続けたし、もう生涯、独身じゃないかとは覚悟している。
私は生きているけど、とにかく生活感がゼロの大人になった。
歳月は残酷に
そうして長い長いまどろみのような場所に居続けている私も
親が年老いてくるという問題に直面した。
まず、親が退職すると経済的な主軸は自分になる。
次に元気だった親が病気や入院で弱り、家事ができなくなる。
こうなってくると、経済的にも自分が頑張らなくてはならず、今まで好き勝手に使ってきた給料はどんどん生活費へとシフトしていく。
それに洗濯や掃除といった体力マシマシの家事は全部、私は担うことになり、最初は食器洗い程度だった分担が、ほぼほぼ自分になっていく。
(私は昭和のオッサンだから、料理が最後になったが、女性だったり、料理が好きな方はそちらから、この家事の移譲が進むと思われる。)
そうして、何より、自分が好きに使っていたプライベートの時間は無くなっていく。
結婚して、自分の家庭を築いてらっしゃる方、お子さんがいる方からしたら、何を今更と思われるような事ではある。
伝えたいこと
どんなに好き勝手に生きていくのも、良いだろうと思う。
毎日ゲーム漬け、自分の趣味中心の生活。
だが、やがては周囲の環境は年月と共に変化し
いずれは自分自身も年齢という壁によって、いままでのような生活はできなくなる。
そうなった時に、後悔のないよう、趣味に生きるような同好の皆さんに
私は一言言いたい。
10年後、20年後の自分と周囲を、時に予測し、思いに耽るのを
たまには思い出して欲しいと。
憂鬱な話ではあるから、まあ、大晦日とか自分の誕生日とか、年に1度でいいから。
向き合わなければならないものと、向き合わないで生活できる人生の執行猶予は
いずれ切れてしまうのだから。